3月12日(火)に、毎年恒例の職員の苦労を労う会として「ごくろうさん会」を開催しました。

来年度は、おかげさまを持ちまして、設立30周年という大きな節目を向かえます。
この大きな節目を目前に、開設当初からの「歴史を知る」というテーマで講演会を企画し、講師に株式会社シルク温泉やまびこ代表取締役 奥田清喜様をお招きしました。

奥田様は、昭和35年に役場に公募(試験)による第1号で入職され、総務課で広報を担当、福祉の住民課を経て、企画財政の仕事に従事され、平成7年には旧但東町長に就任され、新豊岡市になるまでの10年間、地域住民や町づくりのために貢献されました。
その中で、けやきホールの開設、増築に多大なご尽力をいただき、開設に至るまでの歴史、ご苦労なされた事など熱く語って頂きました。

但東町とけやきホールの繋がりは、昭和60年3月に、当時、北但1市10町で特養こうのとり荘を公設で作った。しかし、但東町の方が入居できるかというと難しく、やはり但東町独自で福祉施設が必要であると考えていた。このタイミングで、けやきホールの創設者と出合い特養は町の福祉の拠点になるという町の考えや思いと合致した。
当初、法人名を「愚公山を動かす」と言うことわざから、「愚公会」という法人を設立したいと聞いた。県に相談したが、とても但東町に社会福祉法人をつくるような力はない。また、「愚公会」という名前ではとても認められないと、随分やりとりもあった。結果、愚公会を改め、「社会福祉法人ひまわり」に変更し、けやきホール建設着工となった。ひまわりの如く、太陽に向かって進んでいく。高齢者が元気で過ごして頂けるケアを提供したいという思いを込め、県にも認可された。
昭和62年からは、住民課長を務めており、用地の取得や入札前の造成工事や施設へ入る連絡路、橋もなかった為、太田川に橋を架けること(寿橋)や、道路を整備することも困難で大変であったこと、またオープン前に職員採用の試験官もさせてもらった思い出もあると話される。
平成15年に、法人で地域交流ホームとして、1階ホールを増築した。平成17年に、ユニット型特養を増設し、この時は、但東町長として関わられ、国や県の補助金、それに町の補助金を受けるのになかなか難しく、町民の声も疑問視する意見もあった。しかし町民の気持ちの中で、この施設をしっかり運営してもらおう。また、何れはお世話になるかもしれないという気持ちが見え町の補助金も議会でも承認された。
また、けやきホール開設後、高齢化率の上昇に対応する為に行政の施策と一体化となり、さまざまな取組を行なってこられた。
理学療法士の採用や、保健師を3名体制にしたり、当時、在宅介護支援センターも兵庫県下では受ける団体はなかったが、けやきホールでの委託事業となった。そして、けやきホール入居者の方、老人会の方を対象に、衣装を25着作成しシルバーファッションショーを開催した。予想以上に大好評であった。また、但東町の職員を対象として、けやきホールでの「寝たきりはしんどいなあ研修」を実施するなど、ひまわり法人と行政、地域住民とが一体になり、他町に先駆けて事業展開してきた歴史がある。
最後に、奥田様が講演等で引用されている「ぴんぴんころり」と生きられるようにと、教訓をお聞きする。
「コケコッコ-症候群」→「弧・欠・個・固」
「弧」は、食事するのも暮らすのも一人ではダメである。「欠」は、一日3食はしっかり食べないといけない。「個」は、家族はバラバラに食事をするのではなく、できるだけ一緒に食べる。「固」は、偏食はしないこと。
福祉は心である。それを受け止めながら仕事をしている施設スタッフの皆さんに感謝していますと締めくくられました。